他の誰でもなく君が

 

 そのときまで、俺は本当に、彼を親友だと思っていたんだ。

 

 

 

「好きな、子が、出来てさ」

 はにかみながら言う泰紀に、俺はその想いを自覚した。

 彼は俺の異変に気づくことなく、いかに彼女が好きかを話す。

 隣のクラスの、目立つわけではないけれど愛らしい顔をした女。

「そっか、頑張れよ」

 そう言いながら、俺は堪えきれず席を立った。

「今日、バイトなんだ。先、帰るな?」

「ちょ、シン!?」

「頑張れよ、おまえなら大丈夫だって」

 精一杯の笑顔で手を振って、すぐに背を向ける。

 明日になれば、ちょっとはマシな表情、できるかな?

 俺はギュッときつく瞼を閉じ、涙を堪えた。

 

 

 

 

 

 あの日からちょっと距離をとる俺に、はじめは不思議そうにしていた泰紀も

いい加減苛立ってきたようだ。

「俺、おまえになんかしたか?」

 そんなことを言いながら、見つめられれば何も言えなくなってしまう。

 ただ好きで。

 友人だったはずなのに。

 いつの間にか、堪えるのも困難なほど。

「どうしたんだよ?」

 俺の態度に泰紀は困ったように眉根を寄せ、さっきまでの苛立ちはどこへ

行ったのか、ただ心配なんだと気遣ってくれる。

「どうした? 悩みがあるなら言ってくれよ」

 じゃあ、好きになって。

 俺のそばにいて。俺だけ見てて。俺のことだけ想ってて。

 言葉に出来ない想いだけが、胸から溢れ出る。

 もっと心が広ければ、溢れ出ることはなかっただろうか。

 気づかれずにいられたのだろうか。

「そりゃ俺、頼りないかもしれないけど……俺たち、親友だろ?」

 大好きな人の言葉が胸を抉る。

 親友なのに。親友だから。

「ごめん……」

 やっとそれだけ口に出し、俺は彼から顔を背けた。

 ごめん、好きになって。ごめん、心配してくれているのに。

 唇を噛みしめ、涙を堪える。

 これ以上、俺の心に入ってこないで。

「失恋しただけ。いつか笑って話せるまで、待って」

 無理矢理に笑顔を作ってその話題を終わらせた。

 釈然としないまま、それでも泰紀はそれ以上は追求してこようとはしな

かった。

 

 

 

 

 

「そんなに門倉が好き?」

 誰もいなくなったはずの教室で不意に背中から声を掛けられビクリと身を

竦める。

「何……?」

 振り返ればそこにはクラスメイトの水島が。

「門倉、好きなんでしょ?」

 周りを見渡すが、やはり俺以外誰もいない。

「言わないの?」

「な、んの、こと?」

「しらばっくれるの? 俺が門倉に言ってもいいの?」

「やめて!」

 思わず出た大声に水島が微笑った。

「シン、って呼んでいい?」

 水島はそう言って徐々に近づいてくる。

 俺が返事をしないことなど気にしていないように微笑ったまま。

「シン、目瞑って」

 いつも会っているはずのクラスメイトに恐怖を感じ、ただただ彼を見つめる。

 言う通りにすることも、反抗することも出来ずに。

「シン、」

 そう言って水島は俺の目を自分の手のひらで隠す。

「シン、泰紀、って呼んでみな?」

「……!」

 水島が何をしようとしているのかわからないが、俺は首を振り、はじめて

拒絶を表した。

 それでも水島の手は外れることなく、俺の視界は奪われたまま。

「シン、」

 優しくそう呼んで、水島がそっと唇にキスを落とす。

「水―――」

「泰紀、だろ?」

 俺が答える前にまた水島が口を塞ぐ。

 さっきとは違う、舌の絡まる、いやらしいキス。

「代わりに、抱いてあげる」

 そう言って水島は美しく微笑った。

 

 

 

「ウチにおいで」

 優しく誘うその言葉は脅迫だ。

 水島は俺が従わなければ泰紀に言うかもしれない。

 この優しい瞳が、そんなことない、と思わせる。

 しかし俺は水島を知らない。

 何が好きで、何が嫌いで、何に興味があるのか。

 どんな人物で、どんなことが出来るのか。

 友人ですらない水島の何を信用できると言うのだろう。

「来るよね?」

 あくまで穏やかな口調で問いかける水島に俺は小さく頷いた。

 

 

 

「シン、」

 耳元で呼ばれ、ベッドに倒される。

「水島……!」

「泰紀」

 制服を脱がせながら、水島が冷たく言い放つ。

「代わりに抱いてあげるって言ったでしょう?」

 苦しげに顔を歪め、水島が言う。

 ……俺は泰紀にこんなふうにされたかったんだろうか?

 肌を動く、少しひんやりした掌を見つめながら思った。

 女のように抱かれ、恋人として、誰よりも大切に扱って欲しかったんだろう

か?

「また、目隠しする?」

 どうしても泰紀だと思えない俺に気づいたのか、怒っているのか悲しんで

いるのかわからない表情で水島が言う。

「シンの好きな、泰紀だと思ってごらん?」

 水島は制服のネクタイを拾うと俺の目を隠した。

「シン、好きだよ」

 小さくキスを落とされ、背筋が震えた。

 ……これは、誰?

 俺に愛を囁くのは。

「好きだよ」

 俺は怖くなって水島に抱きついた。

 何が怖いのかもわからないまま。

 

 

 

 

 

 あれから泰紀といると決まって水島が現れた。

「シン、」

 泰紀が彼女の話をするとき、彼女と共にいるとき。

 さりげなく俺を泰紀から遠ざけ、慰めるように俺の肩を抱き、優しい瞳で俺

を見つめる。

 何故だか水島にそうされると苦しいような嬉しいような不思議な感じがして

困る。

 

 

 

 それからも水島は泰紀の代わりだと、何度も俺を抱いた。

 本当の恋人のように扱ってくれる水島を、それでも俺は「泰紀」と呼んだ

ことはない。

 泰紀が好きなのに。

 彼女に嫉妬するくらい、泰紀が好きなはずなのに。

 俺は何故、水島に抱かれているんだろう。

 断ることなど造作ないことだ。

 たとえ水島が泰紀に言うと脅してきても、大して仲の良くない水島より、

俺の言うことを信じてくれるはず。

 それなのに水島を振り解けない。

 俺を見つめる瞳に。

 本当に俺が好きなのかと思うような熱の籠もった視線に。

 性欲処理の為だろう脅しも、強姦と言うにはあまりにも優しいあの行為も。

 何故だかすべてを許してしまう。

 

 

 

 

 

 誰もいなくなった教室。

「シン、」

 水島に脅されたあの日と同様に、彼は俺の背後から近寄り、首筋にキスを

落とした。

「水島……」

「代わりには、なれない……?」

 はじめて聞く水島の弱気な声に、俺は驚き、振り向いた。

 

 声も温度も気配でさえも水島で、他の誰かだと思えるはずがない。

 

 俺は目を伏せて水島のキスを受ける。

 顔が見えなくてもわかる水島のキス。

「水島は水島だよ」

 その言葉に水島が口を開けた瞬間、

 

 ガタンッ

 

 教室の扉が鳴った。

「シン、何を……」

 驚愕と嫌悪が入り混じった表情で泰紀が俺を見ている。

 漫画みたいだ、とどこか冷めた気分でそれを見つめている自分に驚く。

「何の用? 門倉には関係ない」

 水島が俺を庇うように背に隠し、聞いたこともないような冷たい声を出した。

 

 この気持ちが泰紀にバレたら、水島との関係が泰紀にバレたら、生きてい

けないなんて思ってた。

 でも実際は親友の瞳に嫌悪が宿っても、仕方ないと思ってる。

 

 何も言えずに立っている泰紀を尻目に、水島が俺の手を取り教室を出た。

 水島は行き先も告げず、しかし通いなれた道を俺を引いて歩く。

 鞄置いてきちゃったなぁ、とかそんなどうでもいいことを考えながら俺はそ

れに従った。

 

 

 

 俺は本当に泰紀が好きだったんだろうか。

 今、水島を想うように、心乱されていたのだろうか。

 今ではただお気に入りのおもちゃを取られた子供のように、親友を見知ら

ぬ女に取られたことに怒りを感じていただけのように思う。

 身代わりでいいと言った水島。

 身代わりである必要などなかったのに。

 

 

 

 いつも抱かれるために連れてこられる水島の部屋で水島は何も言わずに

項垂れている。

「ごめん……」

 何か言いたげに口を開いては閉じ、結局水島は小さくそう呟いた。

 あの脅迫は何だったのだろうかと思うような水島の態度に微笑が洩れる。

「あのさ、」

 俺の言葉にビクリと身体を揺らし、水島がやっと視線を俺に向けた。

「俺、泰紀が好きなワケじゃなかった」

「……!!」

「今まで泰紀がイチバン近くにいて、泰紀に俺より大切な人が出来たら俺は

どうなるんだろうとか思って、」

「じゃあ……俺は……」

「うん。勘違い。俺もだけどね」

 水島は大きく息を吐き、再び項垂れた。

「俺は斉藤がずっと門倉を見つめてて、門倉が好きなんだと思ってて、報わ

れない想いが切なくて、行き場のない想いが哀しくて……」

 重なり合った想い。

 交わることのない想い。

 期待が確信に変わる気がした。

「俺ね、泰紀が好きじゃないって、これは恋じゃないって気づいたのは、水島

がいたからだと思うんだ」

 ゆるゆると視線を上げる水島の瞳を見つめ、はじめて想いを言葉にする。

「好きだよ。俺、水島に恋してる」

「……!!」

「水島にとっては揶揄いの……性欲処理の対象だったかも、しんないけど」

 笑いを堪えながら、目を伏せ、肩を震わせた。

「違っ……!」

 うまい具合に泣いていると勘違いしてくれたのか、水島のあまりの慌てぶ

りが可笑しくて、種明かしをしてやることにする。

「知ってたよ」

 水島の前に膝をつき、真正面から水島の瞳を見つめる。

 いつも俺を見つめていてくれた、恋する瞳。

「シン、伸太朗」

 手を伸ばし、俺を抱きしめ、はじめて「泰紀」としてじゃなく、水島が俺を

呼ぶ。

「好きだ。ずっと好きだった。抱きしめたかった。名前を、呼びたかった」

「水島は水島だよ。誰の代わりでもなく、俺の好きな水島」

 抱かれるのも、キスされるのも、名前を呼ばれるのでさえ、誰かの代わり

じゃなく、水島がよかった。

「伸太朗、」

 もう一度囁くように俺の名を呼び、抱きしめる腕に力を込めた水島を世界で

一番愛しいと思った。

 

裏小説