君を感じるこの距離を
たとえ身代わりでも、君を近くで感じられるなら。
知っている。斉藤が門倉を好きなこと。 いつも見ていること。 合うことのない視線が、彼の想い人を教えてくれる。 辛くないわけがない。 彼の視線が自分に向かないことが。 哀しくないわけない。 自分の想いが届かないことが。 でも。それでも。 君のそばに行きたかった―――…
「そんなに門倉が好き?」 彼以外誰もいなくなった教室で背中から声を掛ける。 「何……?」 吃驚した表情の斉藤が振り返り、俺を見る。 「門倉、好きなんでしょ?」 もう、我慢なんて出来ない。 「言わないの?」 ただ、見つめられたい。 「な、んの、こと?」 抱きしめたい。 「しらばっくれるの? 俺が門倉に言ってもいいの?」 「やめて!」 そう言った斉藤に、勝利を確信した。 「シン、って呼んでいい?」 もう、逃がさない。 「シン、目瞑って」 他の誰を想っていても。 「シン、」 そう囁いて動かない斉藤の目を自分の手のひらで隠した。 「シン、泰紀、って呼んでみな?」 「……!」 斉藤は首を振り、拒絶する。 それでも俺の手が外れるほどではなく、彼の視界は奪われたまま。 「シン、」 優しくそう呼んで、彼の唇にそっとキスを落とす。 「水―――」 「泰紀、だろ?」 斉藤が何かを答える前にまた口を塞ぐ。 さっきとは違う、舌の絡まる、いやらしいキス。 「代わりに、抱いてあげる」 そう言って手を離し、俺はシンを見つめた。 怯えた瞳でも彼に見つめれていることが、嬉しかった。
「ウチにおいで」 そう優しく誘う。 彼は恐怖で従うだろう。 それでも構わなかった。 いい人なんて思われなくていい。 好きになんてなってくれなくていい。 身代わりでも、脅迫でも、君に触れ、君を見つめられるなら。 「来るよね?」 あくまで穏やかな口調で問いかける俺に彼は小さく頷いた。
「シン、」 耳元でそう名を呼び、ベッドに押し倒す。 「水島……!」 「泰紀」 制服を脱がせながら、訂正した。 ここにいるのは俺じゃない。 彼を愛している、彼の想い人なんだから。 「代わりに抱いてあげるって言ったでしょう?」 そう諭し、残りの制服を取り除いていく。 ただ門倉を想い、誰にも触れさせたことのないだろう肌に唇を寄せる。 抱きしめたいと願い、離したくないと望む心を抑え込み、ただただ優しく 彼の肌に触れる。 恋人のように。 彼が、門倉に、望んでいるように。
明日は体育があるから、と躰とは裏腹に冷めた頭で考える。 跡をつけないようそっと唇を寄せ、ずっと触れたいと、夢にまで見た肌を 掌で撫でる。 快感に頬を染めながらも身を任せようとはせず、不思議そうに俺を見つめる 斉藤から目を逸らす。 「また、目隠しする?」 門倉に抱かれたいなら。 俺を門倉だと思えないのなら。 「シンの好きな、泰紀だと思ってごらん?」 優しく囁きながら、さっき落とした制服のネクタイで目隠しをした。
ただ見たくなかっただけ。 門倉を想う瞳を。 見られたくなかっただけ。 浅ましい自分を。
「シン、好きだよ」 囁いて首筋にキスを落とした。 今なら伝えられる。 「好きだよ」 求められてるのが俺じゃなくても。 震える腕で俺を抱きしめた斉藤を強く抱きしめ返したいと思った。 今なら出来るのに。 俺は“泰紀”なんだから。 でも歯を食いしばって堪えた俺は努めて優しく斉藤に触れた。 すべてを奪いたい気持ちを抑え込み、快楽だけを教える。 躰だけで構わない。 また俺と、肌を合わせたいと思ってくれるように。
それからも何度も斉藤を抱いた。 ただ優しく。 斉藤が門倉を想っていても。 躰だけは俺のものだから。 俺だけが触れ、俺だけが感じさせられる、俺だけのシン。
学校でも“シン”と呼び、門倉に所有権を主張した。 おまえには彼女がいるんだろう? シンよりも、何よりも大切な。 ……まあ、門倉はそんなこと、気付いてもいないんだろうけど。
躰だけで、と思いながら心も望んでいる自分が滑稽で。 “泰紀”と呼ばれないことに歓喜すると同時に、身代わりにすらなれないのか と絶望した。
最初からわかっていたじゃないか。 手に入らないことくらい。 でも、それでも。 抱きしめ返してくれる腕が。 応えてくれる舌が。 絡み付く脚が。 俺を求めているのだと勘違いさせられる。
「シン、」 誰もいなくなった教室で、はじめてキスをしたあの日と同様、静かに背後 から近寄って斉藤の首筋にキスを落とした。 「水島……」 振り向くこともなく斉藤は俺の名を口にする。 「代わりには、なれない……?」 身代わりにすらなれない。 ならば何故、斉藤は俺に抱かれてくれるのだろう。 恋しい門倉でなければ誰だって同じだから? 俺である必要などどこにもない? 振り向いた斉藤にキスを仕掛ける。 応えてくれる舌が、答えを知っている気がして。 「水島は水島だよ」 ならば俺は、水島として、水島将明として、斉藤に―――…
ガタンッ
俺が口を開きかけたそのとき、不意に教室の扉が鳴った。 「シン、何を……」 驚愕と嫌悪が入り混じった表情で 門倉がこちらを見ている。 「何の用? 門倉には関係ない」 とっさに斉藤を背に隠し、わざと冷たい声を出した。
だって斉藤は関係ないから。 俺に脅されて、ただ、強要されていただけだから。 でもきっとそんなことは関係なくて。 もし門倉がこのことを吹聴して斉藤が孤立したら。 一瞬そう考えた。 そうしたら、斉藤は、俺を頼ってくれるだろうか。 俺のものに、なってくれるだろうか。
そんな馬鹿馬鹿しい考えに首を振り、何も言わず立っている門倉を無視 して斉藤の手を取り教室を出た。 何と声をかけていいのかもわからず、ただ斉藤の手を引き、ウチまでの 道を歩く。
これから斉藤はどうするのだろうか。 おまえのせいで門倉にバレたと俺を罵倒するだろうか。 門倉を想って、また泣くだろうか。
自分の部屋まで連れて来たはいいものの、何と言っていいのかも わからず、俺はただ項垂れているだけで。 「ごめん……」 でもこれだけは、と小さく呟くような声で伝えた。 「あのさ、」 何を言われるかわからなくて。 でも何を言われても受け入れなければ、と視線を斉藤に向けた。 「俺、泰紀が好きなワケじゃなかった」 「……!!」 驚愕し、理解出来ず、言葉が出てこない。 「今まで泰紀がイチバン近くにいて、泰紀に俺より大切な人が出来たら俺は どうなるんだろうとか思って、」 「じゃあ……俺は……」 俺が、強いてきたあの行為は。 「うん。勘違い。俺もだけどね」 「俺は斉藤がずっと門倉を見つめてて、門倉が好きなんだと思ってて、 報われない想いが切なくて、行き場のない想いが哀しくて……」 門倉じゃなく、俺を見つめて欲しかった。 身代わりでも構わないと思った。 君のそばにいられるなら。 君に、触れられるなら。 「俺ね、泰紀が好きじゃないって、これは恋じゃないって気づいたのは、 水島がいたからだと思うんだ」 言われている意味がわからなくて俺は斉藤の瞳を見つめる。 「好きだよ。俺、水島に恋してる」 「……!!」 「水島にとっては揶揄いの……性欲処理の対象だったかも、しんないけど」 目を伏せ、肩を震わせた斉藤が痛ましくて。 「違っ……!」 そんなはずはないと伝えたくて。 「知ってたよ」 俺の前に膝をつき、真正面から斉藤が俺の瞳を覗き込む。 いつも門倉を見つめていた、綺麗な瞳。 俺を見つめる、恋する瞳。 「シン、伸太朗」 手を伸ばし、斉藤を抱きしめ、名前を呼ぶ。 誰かの代わりではなく、俺が。 「好きだ。ずっと好きだった。抱きしめたかった。名前を、呼びたかった」 「水島は水島だよ。誰の代わりでもなく、俺の好きな水島」 「伸太朗、」 もう一度確かめるように彼の名を呼び、抱きしめる腕に力を込める。 これが夢ならもう二度と目覚めないで欲しいと願った。 |