「俺が結婚してやるから、もう泣くな」

 フラれるたび、そう言った男の子を思い出す。

 あのときも恋人にフラれ、まるで世界が終わったかのように絶望していた。

 バカみたいに泣き続けるあたしに、彼がくれたのははじめてのプロポーズの言葉と

指輪。

 子供用のプラスチックの指輪は私の指には合わなくて、仕方なく左手の小指におさ

まった。

「絶対迎えに行くから、浮気すんじゃねーぞ」

 彼が父親の転勤で引っ越すときに残していった言葉を思い出す。

 小学生のとき、あたしは結婚とか浮気とか、そんな言葉を使っていたかしら?

 思い出そうとするけれど、昔すぎて憶えていない。

 

 

 

 あれから何度も季節は巡り、それでも彼と同じ言葉をくれる人は現れなかった。

「重いんだよな」

 いつもそう言われて終わる。

 重いって何?

 人を好きになるって、そういうことじゃないの?

 自分の全部で好きになったら、自分の全部の愛をあげたら、重いに決まってるじゃ

ない。

 

 

 

 あれから何度も恋をして、何度も泣いて。

 そのたびに、瞳の綺麗なあの少年を思い出す。

 もう少年ではなくなった彼も、軽い愛を求めているのだろうか。

 あたしのことなど忘れ、あたしのような女の子に「重い」と冷たく、別れを告げるのだ

ろうか。

 あたしの中で彼は今でもあのときのまま、澄んだ瞳であたしを見つめ「もう泣くな」と

言ってくれる。

 そのたび、どれだけ彼に救われているか知れない。

 こんなとき、決まって思い出すのは呆れたようにあたしを見つめる少年の姿。

「しょうがねぇなー、美也子は」

 小学生のクセに高校生に向かってなんて口を利くの、ってそんなふうに思ったけれ

ど、今考えれば目先の恋愛しか考えれないあたしなんかより彼のほうが充分に大人

だった。

 

 

 

 

 

「悪いな、待たせて」

 そう言って急に目の前に現れた男に瞠目する。

 あたしはここで誰かと待ち合わせをしてたわけじゃない。

 しかし周りに人影はない。

「随分遅れたからな、怒ってるのか?」

 そう言われても何のことかわからない、あたしなんだろうか、と見上げた男が、

「美也子」

 優しく名前を呼ぶ。

 あの頃と変わらない澄んだ瞳のまま、あたしを見つめる。

「……たっくん……?」

「なんだよ、婚約者の顔忘れたのかよ?」

「婚、約者……?」

「約束しただろうが、」

 そう言ってあたしの左手を取り、小指にくちづける。

「この指に」

 あれ以来、空いている約束の指。

 生涯ただ一度のプロポーズ。

 小学生の冗談のようなプロポーズ。

 そんなものを信じられるほど、あたしは純粋じゃなかった。

 本気になど、するはずがない。

「浮気すんなって言ったのに」

「ごめん……」

 納得いかないとは思いつつ、ついうっかり出た謝罪の言葉にたっくんが苦笑する。

「これからはするなよ?」

 あたしが求められるままに頷くと、たっくんは満足そうに微笑って今度は薬指にくち

づけた。

「俺が結婚してやるから、もう泣くな」