態度で示して、言葉で言って。不安になんてさせないで。
朝起きたら、恋人の機嫌が悪くなっていた。 「おはよう」とキスをしても機嫌が直らない。 俺の恋人は低血圧だから、朝はいつもブスッとしてて、機嫌悪そうにして いるからあまり気にしなかったのだけど、今回はそれが随分長かった。 朝ご飯の時間になっても機嫌が直らない。 さすがの俺にも分かる。 どうやら彼の機嫌を損ねる何かを、俺はしてしまったらしい。 いつもなら和気藹々と話をして、たまにじゃれ合って、極稀に親の目を盗ん でキスをして…… いつもあいつはにこにこ笑ってたのに、今日の会話といえば数える程度の ……簡単なものだった。 「まだ眠いのか?」とか、「そろそろ行くぞ」とか、俺が声をかけてそれに あいつは無言のジェスチャーで答える。 こんな事、初めてだった。
「おい、浩二。どうしたんだよ?」 学校に行く途中、黙りこくったまま俺の後ろを着いてくる恋人に声をかけた。 「…………」 浩二は何も言わない。 そういえば、今日はまだ浩二の声を聞いてない。 そう思い出すと何だか寂しくなってきて、俺は立ち止まり、後ろを振り 返った。 「浩二!」 少しだけ厳しい目で見つめると、俺の恋人は一瞬泣きそうな目をして、 それから負けじと厳しい目で俺を睨んできた。 浩二は、変なところで負けず嫌いだ。 唇をぎゅっと噛んで言葉を出すまいとしている。 「浩二、俺、寝てる間になんかしたか?言わないと分からないだろ?」 昨夜までは浩二はいつもと同じだった。 俺が課題をやってる横で、べたべたくっつきながらテレビを見て、宿題が 終わったらベットに入って一緒に寝た。 浩二が「大好きだよ優。」と微笑んだから、俺も微笑んで、「おやすみ」の キスをした。 それで? どうして朝起きたら機嫌が悪くなってるんだ? 言われなくちゃ、分かるはずがない。 「俺は……」 目を伏せて、浩二は唇を押し開いた。 声変わりを終えてるのにもかかわらず可愛い声。 浩二の声が、俺はすごく好きだった。 「俺は優なんかもう好きじゃない。」 「は!?」 歯を食いしばってもう何も言うまいとしている浩二に俺は間の抜けた声で 返事した。 「もう別れる。」 それだけ言うと、浩二はだっと俺の横を通りすぎて、走って行ってしまった。 は!? どういう事だよ? 別れる、と言われたショックより、その理由が分からなくて俺はパニックに 陥った。 何したんだ!?俺は!! 自分に問い掛けても、さすがに寝ている間のことなんて分かるはずが なかった。 いつも喧嘩しても、「ごめんな、愛してるよ」と言って、キスしたら仲直り できた。 でも、喧嘩の理由がわからないのに、「ごめん」なんて言えない…… 俺は急いで浩二の後を追いかけた。
「浩二っ!」 バス停で立ち止まってる浩二にやっと追いついて、今度は逃げられないよう に手を掴む。 バス停には幸い、浩二一人だった。 さすがに他の人が居たらこんな事はできないし、浩二もまともに話を聞こうと しないだろう。 それでも浩二は必死になってそれを払おうとした。 でもそれは無駄な事だ。 俺、結構握力はある。 少なくとも浩二には負けない。 「気持ち悪いな!離せよ!!」 心底嫌そうな顔をして浩二が叫ぶ。 あれ…? もしかして本当に嫌なのか? 俺に触られて浩二が嫌がるなんて事、今までなかった。 でも今は本当に嫌そうだった。 昨日あんなにラブラブだったから、今日別れるって言われてもただ、何かに いじけてるだけなんだと思ったけど、もしかして本気なのか…? ずっと好かれてると思ってたけど、あれは浩二が俺を傷つけないように演技 しててくれただけなのか? 色々な思いが過る。 「浩二は、もう俺が好きじゃないのか…?」 嫌がられるのは嫌だから、俺は手を離した。 恐る恐る、そう問いかける。 「…………」 浩二はまた黙り込んで、目を伏せた。 「浩二……」 浩二は優しいから、俺が傷つかない方法を考えてるのかもしれない…… 別れを告げられた時点で、俺はそれ以上にないくらい傷ついてるから、もう 気にしなくていいのに。 「…………」 伏せた浩二の瞳から涙がこぼれそうになっていた。 顔まで伏せて前髪でごまかしていたけど、その姿が俺には痛かった。 「浩二……ごめんな……もう、聞かない……」 別れるのは辛いけど、浩二が苦しむ姿なんて見たくない。 それに、俺の事好きじゃないのに付き合ってたって、きっと楽しくなんて ない…… 俺は浩二をそっと抱きしめた。 せめて泣き止むまでこうしていたい。 最後の餞別…? このくらい、いいだろ? でも、浩二はそれも許してはくれなかった。 「死ね!!」 短くそう叫んだかと思うと、いきなり顎にパンチを食らわせて、吹っ飛ぶ俺を 尻目にまた逃げ出す。 いくら人がいないからとはいえさすがにこのままじゃバスには乗れない。と、 思ったからなのか、それともこれ以上ここにいたくなかったから なのか…… とにかく浩二は走って学校まで行くことにしたらしい。 「俺の事好きじゃなくなったのは優だろ!!」 去り際にそう叫んで。 はぁ!? 俺は仰向けになったままその言葉を聞いた。 浩二は可愛い外見とは裏腹に意外にデンジャラスだ。 パンチ力だけは並じゃない。 まともに食らって、くらくらとしながらやっと立ち上がる。 痛みと、早く浩二を追い掛けないと、という気持ちとでその言葉の意味を 考えないまま走り出した。
「ちょっと待て、浩二!」 バスに乗らないと、学校は遠い。 しかも、さすがの浩二もこの喧嘩を見られたくないらしく、人目のない場所 ばかり選んで逃げているので余計遠回りだ。 足は俺のほうが僅かに早いし、スタミナだって俺のほうがある。 長い距離走っていれば追いつくのは当たり前だ。 「うるさい!!追い掛けてくるなよ!!」 今度は腕を掴まれるものかと言わんばかりに、浩二は腕をぶんぶんと 振り回している。 そんなことしてたら学校に着くまでに俺につかまるのは目に見えてる のに…… 「浩二!!」 ついには浩二の服の襟を掴んで、俺はやっと浩二を捕まえた。 引き寄せようとしたらまた殴られたが、さっきほどの威力はなくなっていたの で抱きしめた。 「……………」 疲れたらしく、浩二は観念したように抱きしめられている。 「……………」 俺も疲れてそのままでいた。 ……で、俺は何を言おうと思って浩二を追い掛けてたんだっけ…… しばらく、沈黙したままはぁはぁという息遣いだけが響く。 「……何だよ…」 先に沈黙を破ったのは浩二だった。 「俺が浩二を好きじゃないって、何だよ?」 やっと聞きたいと思っていた事を思い出して、息を整えながら尋ねる。 今度こそ逃げられないようにぎゅっと抱きしめた。 「だってもう好きじゃないんだろ!」 歯を食いしばって、悔しそうな顔で俺を睨む。 「何でだよ?好きだよ。」 当たり前、というように(だって当たり前だし)そう言い返すと、浩二は呆けた 顔をした。 それからまた俺を睨む。 「嘘つけ!!じゃあ何で昨日、言わなかったんだよ!!」 「昨日?いつ?何を?」 「…………」 また浩二は黙って俺を睨む。 「昨日……寝る前……」 「寝る前…?」 「…………」 やっと喋ったかと思うと、また口を噤む。 「……愛してるって、言わなかった……」 「は?」 また間の抜けた声が出る。 恥ずかしさのせいなのか、悔しさのせいなのか、浩二は涙目で俺を睨んで くる。 瞬きのせいでぽろぽろと涙が零れ落ちると、その綺麗な涙が俺の心を締め 付けた。 不謹慎だけど、ドキドキと胸が高鳴る。 「俺は大好きだって言ったのに、お前はおやすみしか言わなかった……」 「……だ、だから」 「もう俺の事好きじゃないんだろ!」 確かに昨日は「おやすみ」しか言わなかった。 いつもは、「愛してる、おやすみ。」と言ってキスをするのに。 だって昨日は浩二がいきなり「大好きだ」なんて言うから…… 浩二は「好き」という台詞を滅多に言わないから、俺はその言葉にドキドキし て、そんな事を言う浩二が可愛くて、色々……我慢するのに必死で…… そりゃ、多少そっけなかったかもしれないけど、キスはしただろ? ……頭の中で悶々と言い訳を考えていたが、その言い訳は結局言わな かった。 先急いでるみたいでみっともないから…… 「……それで今朝いじけてたのか?」 頭を撫でながら涙を拭いてやると、浩二はぶんぶんと頭を振った。 「いじけてたんじゃない……考えてたんだ。」 「何を?」 「……別れ話をされるなら、俺からしてやろうか、って。」 「何で?」 「だって悔しいだろ……だって……」 可愛い…… 「だって、俺……まだ、好きなのに……」 可愛い……可愛い俺の浩二が、滅多に使わない「好き」という言葉で俺を 引きとめようとしてる。 可愛い。可愛いよ…… そうやって浩二は、俺の事夢中にさせて、不安にさせるんだ。 だって、浩二より先に俺が浩二を好きじゃなくなるなんてありえないから。 「ごめんな……愛してるよ。」 そう言ってキスをする。 いつもは外でキスなんてしたらパンチどころか蹴りまで入るけど、今日は 黙ったままそれを受け入れていた。
「愛してるよ……」 もう何度目かのその言葉を聞きながら、俺は考えていた。 学校遅刻だな。 理由は何にしよう? 優と一緒に遅刻なんてしたら、変な目で見られる。 別々に行きたいけど、きっと優は嫌がるんだろうな。 それより、泣き顔見られた…… 外でキスもされた…… どうして今日は嫌じゃなかったんだろう。 優がしたがる事に逆らえないくらい優を好きになってるのならどうしよう。 そうやって好きになって好きになって、捨てられたらどうしよう。 だって、俺が優より先に、優を好きじゃなくなることなんてありえないから。
おしまい。 |