P r a y e r 2
強い衝撃と共に、体が宙を舞った。
「―――和也ッッ!!!」 最後に見えたのは、茫然とする弟・淳也の姿と。 ちぎれとんだ腕時計の茶色。 手を伸ばそうとして…そのまま意識を失った。
―――ここは、どこだ?
真っ暗な世界。 上下左右、前も後ろも何も見えない。 自分がどこにいるのか。 浮いているのか沈んでいるのか。 ……何も分からない。 誰か、いないのか? 誰か―――淳也。 頭にすぐ浮かぶのは、世界で一番大切な弟の姿。 でも、その表情は暗い。 ……僕が傷つけてしまったんだ……。
5つ年下の弟・淳也は、近所でも評判の「イイコ」だった。 勉強も運動も何でも出来るのに、それを鼻にかけない性格の良さ。 明るくて社交的な弟の周りにはいつでも人が集まり。 男女問わず誰からも好かれていた。 それはもちろん、兄である僕も例外ではなく。 淳也のことがとても好きだった。 ……「兄弟」という枠さえ飛び越してしまうくらいに。 でも、そんな気持は封印した。 淳也は中学の頃から女に不自由したことはないし。 兄として慕ってくれている淳也を裏切りたくなかった。 そんなのは、建前に過ぎなかったのだけど。
「オレ、和也のことが好きなんだよ!」 大学卒業を機に、家を出ることを決めた僕に。 珍しく声を荒げて反対してきた淳也が言った。 嬉しい。 本当は踊り出したくなるくらい嬉しかったのに。 次の瞬間。 僕は…淳也を殴りつけていた。 「ふざけるな! そんな…そんな気持悪いこと言うんじゃない!!」 頬を押さえた淳也の目が、大きく見開かれる。 その目に傷ついた色がみるみる広がる。 それを無視して、言葉を連ねた。 「僕は男だぞ!」 「男に好きなんて言われて、喜ぶわけないだろ!」 「実の兄弟なのに……どうかしてるよ!」 「頭冷やせよ!!」 僕が口を開くごとに、淳也の顔が青ざめていく。 ……違う。 本当に気持悪いのは……僕の方。 ずっと淳也のことを見ていた。 次々に変わる淳也の彼女達に嫉妬して。 3年前の誕生日にもらった茶色の革の腕時計を、女々しくもずっとつけて 歩いて。 それなのに、そんな気持は知られないようにしていた。 淳也を裏切りたくないなんてウソ。 嫌われたくなかっただけ。 淳也を好きだと思いながら、自分を守っていた。 そして、今も。 淳也の気持より、自分の保身を考えてしまってる。 「今」はたしかに好きでいてくれるかもしれない。 ……でも、若気の至りってヤツかもしれないじゃないか? 好きだと言ってもらえたその口で「嫌い」だと言われたら……。 僕は…………。
「……約束あるから。ちょっと出かける」 散々罵詈雑言をまきちらして。 淳也が何も言わなくなったのを見てとってから。 僕より十数センチでかい図体を押しのけて玄関に向かった。 「……和也」 靴を履いてる僕の名を呼ぶ淳也に。 自分の気持を押し隠して、冷たい視線を向ける。 「名前で呼ぶなって言っただろ」 「和也ッ!」 「だから名前で呼ぶなって……ッッ!?」 突然、目の前が暗くなった。 ―――淳也に抱きしめられている。 温かくて大きい身体。 ずっとずっと待ち焦がれていたこと。 このまま身を委ねてしまえと思ったのは一瞬で。 「やめろッッ!!」 淳也を突き離して、家を飛び出した。 そして―――
ああ、僕は轢かれたのか。 じゃあ、ここは「あの世」ってヤツ? ……こんな暗くて何もない世界。 淳也もいない、世界。 もう逢えない……。 あの笑顔を見ることも、声を聞くことも……触れることもできない。 ……これは、罰? ずっと浅ましい気持を抱えて。 醜い自分を知られたくなくて、嘘を吐き続けて。 挙句、一番大切な人を傷つけて。 こんな僕は、いなくなって当然なのかもしれない。 当然……なんだけど。 こうなるって分かっていたら。 もう、二度と逢えなくなるって分かっていたら。 言ってしまえばよかった。 あんな淳也の顔なんて見たくなかった。 出てくるのは後悔ばかり。 淳也、淳也……。 本当にごめん。 僕は、本当は、本当は――― |