織姫に逢いに
年に一度だけ、必ず会えない日がある。 彼はきっと、織姫に逢いに行っているんだ。
別に恋人だからってすべてを独占したいとか。 毎日会いたいとか。 そんなこと思ってるわけじゃない。 ……いや、思うけど。 そうできたらいいと思うけど。 でも彼だってひとりの人間で、男で。 誰にも会わないように閉じ込めて、俺が養って、ってそういうのは違うと 思うし。 彼にだって触れて欲しくないことのひとつやふたつあるだろうし。 毎年、毎年、その日だけ会えないのは気になるけど。
どうしてだろう。 他の日、すべて独占しても。 その日逢っているだろう織姫には敵わない気がする。
「来週、七夕祭りがあるんだって。一緒に、行かない?」 なるべく平静を装って。 毎年会えないその日のことに、気づいてないフリ。 「その日は……」 やっぱダメなのかな? 俺より織姫のが大事? 「用事があるならいいんだ。今からなんて休みも取れないだろうし」 そう言ってすぐ表情に出る、と言われた顔を伏せる。 ホントは有給も取った。 祭りは夜からだけど、彼は毎年その日には休みを取る。 だから。もしかしたら。 一日中一緒にいられたら、って。 「祭り、夜からだろ? 休み取んなくてもいいじゃん」 「うん」 「でも……」 「?」 「出掛けるところがあるけど。休み取れるなら、一緒に行くか?」 「いいの?」 伏せていた顔を上げ、彼を見上げた。 彼は俺の気になってることなんて、とっくに気づいてたみたいに 微笑ってる。 「いいよ。おまえのこと、紹介したいし」 織姫の正体が誰なのか、すっごく気になる言い方だけど。 それでもまたひとつ、彼のことを知ることができる。
7月7日の七夕は梅雨真っ只中とは思えないほどの晴天。 ウチまで迎えに来てくれる、という彼に甘えて玄関先で彼を待つ。 しばらくすると見慣れたメタリックカラーのロードスターが俺の前に 止まった。 「どうぞ」 そう言って内側から開けてくれたドアに手を掛け、助手席へ乗り込む。 「どこ行くの?」 誰に会うのか訊くのは憚られ、行く場所を訊く。 「着いてからのお楽しみ」 彼はそう言って微笑うだけ。 きっと食い下がっても教えてくれないんだろうな。 そう思い俺は楽しみ、と彼に笑顔を向けた。
「着いたよ」 揺り起こされ、いつのまにか寝ていたことに気づく。 途中で昼食をとり、お腹一杯になって、眠くなって。 それでも運転する彼に悪くて、必死に眠気と戦っていたというのに。 「ごめん」 「気にすんな」 俺の頭をそっと撫でて降りていく彼に、俺も慌てて車から降りた。 「海だー!」 ドアを開ければ潮の香り。 眼下に広がる広い海。 「こっちだよ」 そう言われ、海を見つめていた視線を手招きしている彼に移す。 「どこで待ち合わせ?」 彼の隣に並び、そう訊く。 「もうすぐだよ」 彼はそう言いながら目の前に現れた墓地へと入っていく。 「これ持って」 途中で買った花束を渡され、手桶に水を汲む彼の後姿を見つめる。 もしかして、墓参りに来たのかな? 途中で買った花束はバラを基調にしたもので、とてもじゃないけどお墓に 供えるようなものじゃない。 だから墓地に入ってもなお、会う人に渡すものだと思っていた。 「行こう」 どんどん進んで行く彼についていくと、彼はひとつの墓石の前で止まった。 イチバン海に近くて、綺麗なバラの飾ってある墓石。 「先を越されたな……」 小さく舌打ちして彼が言う。 それでも彼は俺の手から花束を受け取り、すでにあるバラと一緒に丁寧に 飾る。 「……誰……?」 どう訊いていいのか迷って、それでも眠っているのは誰かと尋ねる。 「ん? 俺の初恋の人」 初恋の……人……。 「母親だよ」 よっぽど悲愴な表情をしていたのか、彼が微苦笑しながら教えてくれた。 「今日が命日なんだ。すごく優しくて、あったかくて、大好きだった。バラの花 が好きな人でね」 今日は親父に先を越されたけど。 そう彼はやっぱり優しく微笑う。 「毎年書いたよ、短冊に。お母さんが帰ってきますように。って。 それが叶わない願いだって気づいたときには、彼女の顔さえ思い出せなく なっていた」 「写真は、なかったの?」 俺の当然の質問に彼は苦笑しながら、ないんだ、と言った。 「親父がね、母親の写ってる写真はすべて捨てたんだ。どこかにしまって あるだけかもしれないけど。それでもウチには遺影さえないんだよ」 よっぽど彼女を愛していたのだろうか。 愛していたから許せなかった? 自分を置いて逝ってしまった彼女を赦すことが出来なかった? 「ありがとう」 俺はそう言って彼の手を握った。 ありがとう。教えてくれて。 ありがとう。会わせてくれて。 「彼、俺の恋人。俺は幸せだから」 母親に話しかける彼に、俺も彼の手を強く握り話しかける。 「はじめまして。彼を産んでくれて、ありがとう」 俺は一生、織姫には敵わないだろう。 それでも。 貴女に負けないくらい、俺も彼を愛しているから。 貴女と同じように、彼の幸せを願っているから。 貴女が出来なかったこと、俺が代わりにします。 だからいつまでも見守っててくださいね。 |