甘い運命
「雅! 泊めて!」 激しく鳴るインターホンに嫌々ながら腰を上げた深見雅だったが、扉の外に 立つ男を見て、さらに不機嫌さが増した。 「壱悟……。何の用だ?」 溜め息をつき、不機嫌さを隠そうともせず、雅は扉の前で仁王立ちをする。 もちろん自分より15cmも背の高い壱悟を阻めるとは思っていないが。 「何の用って……。可愛い甥っ子が会いに来たってのに酷いこと言うね」 さして酷いと思っていない様子で、自称可愛い甥っ子・深見壱悟は叔父を 押し退けると断りもなく、ズカズカと部屋へ踏み込んでいく。 「おい! 壱悟!」 雅が慌てて壱悟を追いかけると、そこには既に自室の如く寛いでいる壱悟 がいた。 「また兄さんとケンカしたのか?」 溜め息をつきながら、諦めた様子で雅は冷めたコーヒーを淹れ直した。 「だってあのクソ親父!!」 怒りを思い出したのか、拳を握りしめ親父批判を始める壱悟を無視しなが ら雅は淹れたてのコーヒーに口をつける。 「何? 俺に淹れてくれたんじゃないの?」 「なぜ俺がおまえの為にコーヒーを淹れるんだ?」 当たり前のように言われ、壱悟は大袈裟に落胆してみせた。 「雅、俺のこと可愛い甥っ子と思ってないでしょ?」 「当たり前だ。そんなデカイ男のどこが可愛いっていうんだ」 即答されて、壱悟は言い返すのをやめた。 「いいもん。自分で淹れるから」 拗ねたように唇を尖らせ、壱悟はキッチンへ入った。 勝手知ったる、というやつだ。 手際よくコーヒーを淹れながら、カウンター越しに雅に声をかける。 「ねえ、雅。しばらく泊めて?」 努めて可愛らしくお願いする壱悟だが、19歳にして190を超える男が 可愛らしく見えるはずがない。 「い・や・だ」 雅は端整な顔を歪めて強い口調で言う。 「そんなこと言わないでさ〜。お願い!」 顔の前で手を合わせて必死にお願いする壱悟だが、そんなことで雅の 表情は変わらない。 「毎度毎度、俺のところに来るんじゃない。兄さんにだってバレてるんだ ろう? 女のところにでも行けばいいだろうが」 「残念でした。泊めてくれるような女いねえもん。あんたこそ結婚とかしねえ のかよ? もう30だろ?」 「余計なお世話だ。じゃあ何か? 俺が結婚したら、おまえはもうここを避難 場所にしないのか?」 「……努力する」 「嘘をつくな、嘘を。おまえのようなふてぶてしい奴がそんな殊勝な心を持ち 合わせているわけがない」 「ひっでー! そんな言い方しなくてもいいだろ〜!」 「本当のことじゃないか」 「………」 口では敵わないと判断したのか、壱悟は口を噤んで恨めしげに雅を見つ める。 「ねえ……」 「ダ・メ・だ」 話も聞いてもらえないまま拒否された壱悟は、強行手段とばかりに勝手に 荷物を広げ始めた。 「何をしてるんだ?」 雅は溜め息をつきながら壱悟の行動を観察している。 「もうここに泊まるって決めたの!」 誰の許可を得たわけでもないのに決定事項とばかりに壱悟はそう言うと、 雅を振り返った。 「いいでしょ?」 「………」 こうなったら壱悟がテコでも動かないことはよく知っている。 雅は諦めたように溜め息をつき、 「勝手にしろ」 とだけ言って、寝室へ入っていった。
朝起きると、昨日からは考えられないほど部屋が散らかっていた。 「学校はどうした?」 行っている間にすべて捨ててやろうかと雅が怒りを抑えて問う。 「自主休講〜」 ヘラヘラと笑う壱悟に雅の口から溜め息しか出なかったのは仕方のない ことだろう。 「ねえ、雅。遊ぼ♪」 壱悟は溜め息をつく雅にじゃれつき、邪険に振り払われる。 「おまえは暇な大学生かもしれないが、俺は仕事を抱えた社会人だ。そんな 時間はない」 「そんな言い方ないじゃん! それに締め切りまだなんだろ? いいじゃん、 今日くらい」 雅は詩人だ。 何冊か本も出しているらしいが、詳しいことは知らない。 それでもこんなマンションに住めるくらいなのだから、それなりの稼ぎは あるのだろう。 「何故、おまえが俺の締め切りを知っているんだ?」 「さっき、担当さんから電話あったよ?」 壱悟はそう言って、留守ボタンの点滅する電話を指した。 「ホント、朝弱いよね。あんだけ電話鳴ってたら、普通嫌でも起きるって」 ニヤリと笑みを浮かべ、壱悟はまたも雅にじゃれつく。 「ね、だから今日くらいいいじゃん。可愛い甥っ子を構ってよ」 その姿に雅は溜め息をつき、洗面所へ向かった。 無視された壱悟は唇と尖らせて拗ねる。 雅はそれに気づかず、顔を洗い、歯ブラシを銜えて壱悟の前に立った。 「で、遊ぶってのは?」 「遊んでくれんの?」 ウキウキと瞳を輝かせ、壱悟は立ち上がった。 「俺、雅と行きたかったトコがあるんだよね」
「行きたかったところってのは、ここか?」 雅はあきれたように周りを見渡して訊く。 連れてこられたのは公園。 アスレチックやら小さなアトラクションがある広々とした公園。 平日なのでそれほど混んではいないが、休日には家族連れで賑わうの だろう。 「だって雅、いっつもウチん中いるじゃん。たまには日に当たんないとカビ 生えるよー」 壱悟はそう言うと雅を引っ張り公園に入った。 「それにココ、俺がはじめて雅に逢ったトコなんだよ?」 「何言ってるんだ。はじめて会ったのは俺の実家だ。兄さんが“初孫だー” って連れてきたんだよ」 「そんなん俺、憶えてるわけないじゃん」 不貞腐れたように頬を膨らまし、とにかく思い出の場所なの、と言うと、 壱悟は芝生の上に寝転んだ。 「ホントに……何しに来たんだか……」 雅は溜め息混じりにそう言い、壱悟の横に腰を下ろした。 しばらくすると、寝転んでいた壱悟の上によだれを垂らした仔犬が飛び 乗ってきた。 「なんだ、おまえ。ご主人様は?」 壱悟がそう言って仔犬の頭を撫で、まるで友達のようにじゃれ合っている と、気の弱そうな男が走ってきた。 「すみませーん」 はあはあと肩で息をしながら男は壱悟に近づく。 「すみません。ご迷惑を」 男はそう言うと、仔犬を抱き上げる。 「だめだろ? 他人様に迷惑かけちゃ。サンタ、ごめんなさいは?」 男は仔犬に向かってそう言うと、サンタの顔を壱悟のほうへ向けた。 くぅ〜ん……と鳴くサンタに呆気にとられているのは雅。 「気にするなよ、サンタ。迷惑なんかじゃないって」 壱悟は至極真面目にサンタに向かって言う。 その言葉にサンタはキャンと答え、ご主人様の腕から逃れた。 「まだ遊び足りないのか?」 サンタにじゃれつかれた壱悟はそのまま走り出す。 後に残されたのは呆気にとられたままの雅とサンタのご主人様。 「すみません。ウチのサンタが……」 そう言う男にやっと雅が平静を取り戻す。 「こちらこそ、すみません。馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、あそこまで とは……」 いつのまにか大所帯になった壱悟(他、犬数匹)に目を遣り溜め息を零す。 「そんな、とんでもないです。僕の体力じゃサンタを満足させられないので」 男はそう言って苦笑する。 「あんなに遊んでもらって、」 「雅〜!!」 男の言葉を遮るように壱悟が叫ぶ。 「み・や・び〜!!」 手を振り、雅にも来るように促す。 「呼んでますよ?」 そう言われてしまっては無視するわけにはいかない。 雅は殊更ゆっくり壱悟に向かって歩き出した。
「あー、疲れたぁ……」 壱悟はそう言うと、ソファに倒れ込んだ。 「疲れたのはこっちだ。汗臭い身体で寝転ぶんじゃない」 雅はそれを碾めると、浴室に向かい、風呂に湯を張った。 あのあと、犬(複数)とじゃれ合い、壱悟に無理矢理アスレチックに連れて いかれた。 いつも家で仕事をし、体を動かすことなどあまりない雅は筋肉痛が心配で ならない。 「じゃあ風呂入ろっと」 「何を言っているんだ。俺が先に決まってる」 「一緒に入る?」 「馬鹿か」 「ちぇ、いつもそう言うんだから」 壱悟はそう言ってソファから下りると冷蔵庫を開け、麦茶を取り出した。 「じゃあ早く入ってきてよ」
「おい、壱悟。入っていいぞ」 その声に振り向いた壱悟の目の前に現れたのは、白い肌を上気させた 雅。 濡れた髪に肌蹴た鎖骨。 いつもより色っぽい雅に壱悟は慌てて立ち上がった。 「うん。じゃあ、入ってくるわ」 急いで浴室に向かおうとした壱悟だったが、それが仇となり大きな音を 立てて鴨居に頭をぶつけた。 「いっ……ってぇー……」 そのまま蹲る壱悟に雅は苦笑して近寄った。 「大丈夫か? おまえは規格外なんだよ」 ちゃんと屈め、と容赦ない一言を加え、壱悟の顔を覗き込む。
ちゅっ
その瞬間、ちいさな音を立てて壱悟の唇が雅のそれに触れた。 「でも15cm差がいちばんキスしたとき綺麗なんだって」 見たこともないような真剣な瞳で壱悟が言う。 「それは背伸びをしてキスしたときのシルエットだろ?」 雅はそう言って壱悟に背を向ける。 「待ってよ!」 一世一代の大告白をこんなにさらりと流させるわけにはいかない。 「わかってんの? 俺、雅が好きなんだけど」 「俺も好きだぞ。可愛い甥っ子」 それでも雅は認めようとしない。 「そうじゃなくて!!」 壱悟の大声にビクリと雅がたじろぐ。 「好きなの、雅が。叔父さんとしてじゃなく、家族としてじゃなく」 止まっている雅に近づき、そっと背中から抱き寄せる。 「恋愛感情で」 雅はその腕を外し、壱悟を真正面から見つめる。 「わかってるのか? 男同士で恋愛するってことを。世間に隠し通していかな きゃならない。しかも俺たちは血族だ。近親相姦! 子供が生まれないだけ マシかもしれないが、許されることじゃないだろう?」 「でも好きなんだもん」 子供のように唇を尖らせる壱悟。 「あのな……」 雅は大きな溜め息をつき、肩を落とした。 「好きになっちゃったもんはしょうがないじゃん」 「そんなの一時の気の迷いだ。すぐに他の女を好きになる」 「じゃあ、それまでそばにいて。雅より好きな人が現れるまで」 「馬鹿。その間に俺がおまえに骨抜きにされたらどうする?」 「思う壺?」 壱悟は男臭い微笑を浮かべ、雅を抱きしめて言う。 「運命だと思って諦めてよ」 「あーあ……」 雅は盛大な溜め息をつき、体の力を抜く。 しょうがない。 壱悟に捕まってしまったのだから。 しばらくは、この甘い運命に流されてみるのも悪くないのかもしれない。 |