あいたい

 

 あったかかったから。

 好きになる理由なんてそんなもんだ。

 彼の出してくれたラーメンが振られたての俺には嬉しかった。

 

 

 

「こんばんは」

 そう言いながらいつもの席に座る俺に、彼もいつも通りの笑顔で「いらっ

しゃい」と言う。

「いつもの?」

 訊かれて頷く。

 はじめてここを訪れた日から変わらない、彼の作るラーメンの味。

 

 恋人に振られ、でも弱いとこなんて見せらんなくて、独りで泣いてた俺に

声をかけてくれた彼。

「ラーメン食ってかない?」

 振り返れば確かにらーめんの暖簾をつけた屋台。

 今考えれば、店の前で大の男が泣いてたら営業妨害もいいとこだ。

 でも弱ってた俺は彼が優しくしてくれたことが嬉しくて、泣きながらラーメン

を啜った。

 

 それから一年。今に至る。

 新しく恋人を作る気にもならず、気がつけば毎日のようにこの屋台に足を

運び、気がつけば彼に恋をしていた。

 あったかかったから。

 彼の作るラーメンが。彼の優しさが。

 いつのまにか俺にとって心地のいい場所になっていて。

 この屋台が。彼のそばが。

「おまたせ」

 そう言って彼が出来たてのラーメンを俺の前に置く。

「いただきます」

 俺は手を合わせ、箸を割る。

 いつもと変わらない温かい彼の作ったラーメンをいつもと変わらない幸せな

気分で食べる。

 

 

 

「いらっしゃい」

 いつも通りの言葉をいつもと違う声で言われ、暖簾をくぐるため下げていた

頭を上げた。

「いらっしゃい」

 いつも通りの声がその隣で笑う。

「奥さんじゃないのか、って言ってるんだよ」

 教えてくれないけどね。と顔馴染みになった常連客が言う。

 そんなこと、聞きたくはなかった。

「綺麗な、方ですね」

 辛うじてそれだけ言うと彼女は「ありがとうございます」と微笑った。

「いつもの?」

 彼に訊かれて頷く。

 出来れば今すぐ逃げ去りたかった。

「直希、悪いけどそろそろ……」

 俺の知らない彼の名前を当たり前のように口にする彼女が憎らしかった。

「ああ、楓預けたままだもんな。悪かったな」

「子供かい?」なんて常連さんの声が聞こえたけど、誰もその質問には答え

なかった。

「じゃあごゆっくりしていってくださいね」

 そう言って彼女は帰っていく。

 口を動かしながらもラーメンを作っていた彼が、いつも通り出来立てを俺の

前へ置いた。

「おまたせ」の言葉にどうにか「いただきます」と言う。

 いつも通りの表情が出来ているだろうか。

 いつも通りあったかいはずなのに。

 いつも通り美味しいはずなのに。

 

 

 

どうしたんだよ?

 どうもしないよ。

わかってただろ?

 ああ、もちろん。

じゃあ何を落ち込むんだ?

 …………

彼が自分を受け入れてくれると思ったのか?

 ……思ってないよ。

アイツはゲイじゃない。わかってたんだろう?

 わかってた。わかってたんだ。

優しさを勘違いしてたのか? 自分だけだと?

 そんなことない。

どうしてノンケにばかり恋をする?

 わからない。仕方ないだろう?

アイツ等はおまえを捨てるんだ。世間の目が気になり、結婚すると言う。

 ……わかってる。知ってるよ。

それでもアイツが好きなのか?

 それでも彼が好きなんだ。どうしようもないほどに。

 

 

 

 気がつけばあそこへ行かなくなって一ヶ月も経っていた。

 健康のバランスを考えて、なんて下手な言い訳を自分にしながら。

 わかっていたんだ。彼が自分のものにならないことくらい。

 それでも夢を見ていたんだ。自分に都合のいい夢を。

 俺が好きだと言えば、「実は俺も」なんて言ってくれる彼の姿を。

 でもそんな夢も見られなくなった。

 彼には愛する奥さんと子供がいたんだから。

 忘れればいい。今までみたいに。

 愛された記憶がなくても。愛した記憶があるのだから。

 何度自分に言い聞かせようと、忘れることが出来ないのはわかっている。

 今までみたいにこっ酷く振られればよかった。

 忘れたいと思うくらいに酷い奴ならよかった。

 このまま行かなければ彼を忘れられるかも。

 今まで以上に彼のことを考える時間が増えたのに?

 それでも忘れなきゃいけない。しょうがないんだ。

 

 

 

「あれ? お久しぶりです……よね?」

 遅い昼休憩を取ろうと社から少し離れた場所にあるお気に入りの和食屋に

向かう途中、背後から声をかけられ振り返った。

 自分にかけられた言葉なのかどうかもよくわからず振り返れば、そこには

つい一ヶ月前まで毎日のように顔を合わせていた彼の店の常連客がいた。

「ああ、やっぱりだ」

 名前がわからないので呼び止められなかった、と笑う彼にそういえば

そうだ、と俺は懐にしまってあった名刺を手渡した。

「すみません。じゃあ私も」

 そう言って名刺交換をし、はじめて彼の名前を知る。

「加藤さん、これから昼食なんですけどよかったらご一緒しませんか?」

 ただでさえ短い休憩時間をこんなところで潰すわけにはいかない、とそう

誘えば「ちょうど昼にしようと思ってたところなんです」と言われ、連れ立って

和食屋へ向かった。

「最近、会わなかったですね」

「ええ、ちょっと忙しくて……」

 出されたおしぼりで手を拭きながらそう答える。

「店長さんが心配してましたよ。最初は病気なんじゃないかって心配してた

のに最近では飽きたんじゃないかって寂しそうで」

「いえ、そんなことないですよ」

 目の前の彼に言い訳したところでどうなるわけでもないのに俺は慌てて

首を振る。

「私の予想では恋人が出来たんじゃないか、って」

 今にもウィンクしそうな笑顔を見せ、加藤さんは湯飲みを持ち上げた。

「そんなこと……」

 そうだったらどんなによかったか。

「じゃあ、また会えますね」

 そう言って来たばかりの天ぷら定食に箸を伸ばす加藤さんを見つつ、俺も

食事を開始した。

 行きたいと思う。彼に会いたいと。

 でも行ってしまえば忘れることが出来ないのもわかっている。

 報われない想いを抱いたまま彼を見つめる日々が来ることも。

 

 

 

「お久しぶりですね」

 そう微笑まれ、苦笑を返す。

 結局俺は意志の弱い人間なのだ。

 会わなければ、なんて出来るわけがなかった。

「心配してたんですよ」

 加藤さんが言っていたように、彼は本当に自分を心配していてくれた

らしい。

 その事実に少しだけ気分が上昇するのがわかった。

 なんて単純。

「ちょっと忙しくて」

 言い訳をしながら、加藤さんにも同じことを言ったなと思わず微笑した。

「もう大丈夫なんですか?」

「ええ」

 そう答えながら久しぶりに彼の姿を堪能する。

 前と変わらない、彼の姿。

 前と変わらない、彼の声。

 きっと俺はこのまま気持ちを隠したまま彼を見続けるんだろう。

 それでも構わない。

 無理矢理忘れるよりは。

 今は少しでも彼を見ていたいから。

 いつか思い出に変わる日が来ても。

 きっとこの幸せな気持ちは忘れないから。

「おまたせ」

「いただきます」

 ラーメンのようにあったかいこの気持ちは。

 

短編