今までは これからは

 

「おはよう」

 蕩けるような笑顔でそう言う男に俺は固まった。

 ……誰?

 つーか、なんで裸?

 あらぬところが痛いのは?

 ……まさか、ねぇ?

 そんなドラマみたいなこと、そうそうあって堪るかっての。

 ……なぁ?

「仕事は大丈夫か?」

 そう言われ、慌てて時計を探す。

 どうやらここはコイツの部屋らしく、時計はすぐに見つかった。

 いや、ヤバイ。全然大丈夫じゃない。

 自分の家からならともかく、ここがどこかもわからない。

 この格好で行くわけにもいかないし、一旦帰らなきゃならないわけだろ?

 しかも万全な体調ではありませんし!?

 ヤバイ。マジでヤバイ。

 遅刻とか許してくんないよな〜。

 とりあえず電話。

 謝る。謝りまくる。

 よし、それでいこう。

「送ってってやろうか?」

「マジで!? 助かる!!」

 頭フル回転で言い訳を考える俺に男が素敵なことを言う。

 この際、目が覚めたら知らない男のウチだったとか、どうやらエッチしちゃっ

たらしいとか、そんなことはどうでもいい。

 どうせ一夜きりだし、犬に噛まれたとでも思っておけ。

 今は遅刻する、ってことが最重要事項だ。

 俺は急いでその辺に脱ぎ散らかしてある服を身に纏い、ケータイを取り

出した。

「……おはようございます。里中です。……すみません。寝坊です。

……はい、すみません。……はい。……3限には絶対間に合わせます。

……すみません。以後気をつけます」

 なんで都合悪く稲本先生が出るかな!?

 ネチネチ説教されんじゃん。あー、今日絶対帰るの遅くなる!!

「準備出来たか?」

 俺が謝ってる間に準備できたらしい男が車のキーを玩びながら振り返る。

「出来た、出来た」

 とりあえず、ウチまで送ってもらって。

 着替えて、シャワーも浴びたいけどこれ以上遅れたら怒られるから諦めて。

 んでもって、車出せば15分。3限には間に合う。よし。

 履き潰した汚いスニーカーに足を突っ込み、俺は男の後に続いて玄関を

出た。

 

 

 

「マジ助かった。サンキューな」

 どこの誰だか知らない男に礼を言い、俺は自分の部屋へと急いだ。

 後ろで男がなんか言ってたけど、そんなこと気にしてる余裕は今の俺には

ない。

 部屋に入り、アイロンの必要がないように吊るされたままのシャツに手を

通す。

 スーツを着て、昨日と中身の変わらない鞄を掴み、車のキーを捜す。

 どこやった、俺!?

 置いとく場所決めとけよなー。

 そんなこと今の俺に言ったって、過去の俺に通じるわけもない。

 仕方なく、今度から場所を決めようと心に誓い、スーツのポケットやら鞄の

中を探しまくる。

「あった!」

 無造作に鞄に突っ込んであったキーを取り出し、駐車場へ急ぐ。

 運良く信号に捉まんなかったら、ちょっと余裕アリ。

 よし、大丈夫。

 

「すみませんでした」

 挨拶もそこそこにそう言いながら職員室に入り、俺は自分のデスクへ

向かう。

 教材を準備し、授業のあるクラスへ急ぐ。

 クッソー、全部信号捉まったじゃねーか。

 あーマジ最悪。

 もう絶対酒なんて飲まねえ。

 って何度そう思った、俺!?

 学習しろよなー。

「席着けー」

 チャイムも鳴り終わったというのにガヤガヤとうるさい教室に入り、生徒に

声をかける。

「なんでセンセー来てんのー?」

「来てちゃ悪いか」

「だって2組は自習だったって言ってたもん」

「休みじゃなかったのー?」

 口々に言われるなんで来た、という非難の声を押しのけ授業を始める。

 遅刻したなんて言えるか。仮にも教師がよ。

 

 

 

「遅かったじゃないか」

 やっと稲本先生のお説教から開放され、疲れきった体で帰宅した俺に男が

言った。

「…………何?」

 つーか、誰?

 送ってもらったし? 家知ってんのはわかるけどさ。

 何で来るわけ?

 そんなに俺の躯ってばよかったかしら?

「……とりあえず、上がる?」

 そう言ってコイツの部屋とは比べ物になんないくらいボロっちい俺の部屋へ

と招待した。

 ろくに掃除もしてない汚い部屋でテキトーに物を寄せ、スペースを作る。

「座って。コーヒーくらいはいれれるし」

 ケトルなんて素敵なものはないので鍋で湯を沸かす。

 インスタントコーヒーをマグカップに入れ、湯が沸くのを待つ。

「ミルクと砂糖は?」

「ブラック」

 そりゃよかった。

 ミルクがちょうど切れてんだよね。

 沸騰した湯を溢さないようにカップに注ぎ、ブラックコーヒーをふたつ作る。

「で、どうしたの?」

 片方を差し出しながら訊くと、男は訝しげに俺を見つめた。

「おまえ、俺がわかるか?」

 ……バカにしてんの?

 いくら俺だって素面のときのことくらい記憶してるっつーの。

「昨日のことを、憶えているのかと訊いている」

 怖いくらい真剣にそう訊く男に俺はかなり戸惑う。

 憶えてないとやばいようなことしたわけ、俺?

 だって昨日は週末でもないのにクラス会なんて開きやがって。

 ついいつも以上に酒飲んで……

 自慢じゃないが、酒飲んで記憶があったことなんて数えるほどだ。

 男と寝たのははじめてだけど?

「……憶えてないんだな」

 これ見よがしに大きな溜め息をついて、男は立ち上がった。

「何? 帰んの?」

 俺、なんか悪いこと言った?

「俺はずっとおまえが好きだった」

 首を傾げる俺に男がそう言い、きつく抱きしめられた。

 ずっと……?

 何か思い出せそうな気がする俺の思考を男がキスで奪う。

「好きだ」 「ずっと……」 「忘れたことなんてなかった」

 キスの合間に男が言う。

 俺にはそれを考える余裕さえない。

「もう会わない」

 激しいキスの後、男はそう言い残し、部屋を出て行った。

 俺はといえば、男を追いかけるどころか、立ち上がることさえ出来ないで

いる。

 ……ずっと好きだった? 忘れたことなんてない?

 あの男は……誰?

 

 

 

「俺、酔ってどうした?」

『辻に絡んで連行されてたじゃん』

 男のことが気になって、あの夜一緒だった友人に尋ねると友人は当たり前

のように男の名前を口にする。

 俺は知らないのに。

「……辻?」

『憶えてねーの? 辻夏生』

 ……ツジ、ナツオ?

『クラス会だぞ? 元クラスメイトしか来てねーっつーの。憶えてないわけ?』

 辻夏生……そんな奴がいたような気もする。

 でも仲良くなんてなかったはずだし、憶えてなくても不思議はないだろ。

「俺、辻と帰ったわけ?」

『うん。ついに動けなくなったおまえを辻が連れて帰ったんだぞ』

 ちゃんと礼言ったのか、と言う友人の言葉を聞き流し、電話を切る。

 辻夏生……クラスメイト……。

 確かどこかにしまってあったはずだ、と卒業アルバムを探すことにした。

「……誰、これ?」

 出てきたアルバムに写る辻夏生を食い入るように見つめる。

 確かにこんな奴もいた気がする。

 言われなきゃ思い出さなかっただろうけど。

 それに俺の知ってる辻夏生は背だってもっとあるし、もっと男らしくて……。

 まあ中学だもんな。成長してるさ。

 でもここまで面影なくて、憶えてろってのが難しいよ。

 でも、あいつは?

『忘れたことなんてなかった』

 そう言っていた。

『ずっと好きだった』とも。

 あんないい男が自分なんかのどこを気に入ったのかわからない。

 でも、もう一度―――…

 

 

 

 

 

「遅かったじゃん」

 そう言って立ち上がる俺を辻夏生は奇異なものを見る目で凝視した。

「なぜ……」

「結構探すの大変だったんだぞ。前は送ってもらったからさ」

 スーツについた埃を払いながら辻の言葉を遮る。

 せっかく探し当てたのに帰れ、なんて言われたら嫌だし。

「どーでもいいけど入れてくんない? 立ち話もなんだし?」

「……もう会わない、と言ったはずだ」

「うん。でも“会いたくない”とは言わなかったよね? 俺が会いに来るのは

いいんじゃん?」

 その言葉に眉根を寄せ、それでも辻は俺を部屋へ入れてくれた。

「何の用だ?」

「言いたいことがあってさ」

 座り心地のよさそうなソファに勝手に座る。

「まずはごめん。おまえのこと憶えてなくて」

 おまえは憶えててくれたのにな。

 そう言うと辻はそんな話は聞きたくないとばかりに俺に背を向けた。

「あの夜のこともごめん。憶えてなくて。俺、酒飲むと記憶飛ぶらしくて。

……マジごめん。気悪くするようなこと言ったり、やったりしたかもしんねー

けど」

 辻は相変わらず無言で俺に背を向けている。

 それでも部屋を出て行こうとしないんだから話は聞いてくれるんだろう。

「でも昔のおまえは憶えてなくても、今のおまえは好きだよ」

 エッチしちゃったらしいあの夜のことも、今ここに来たことも後悔はして

ない。

 今まで男好きになったことはないけど、辻のことは嫌いじゃない。

 それがキスしたいとかエッチしたいとかって好きかはまだよくわかんない

けど。

「おまえと同じ好きじゃないかもしんない。でもおまえになら口説かれていい

と思ってる」

 まあこれはまだ辻が俺のこと好きだったらの話だけど。

「俺の話はおしまい」

 言いたいこと言ってすっきりしたし、辻がアクション起こしてくんねーんなら

帰るしかねえなぁと立ち上がった俺を辻がいきなり抱きしめた。

「本当か?」

 首元から聞こえる声が震えている気がするのは俺の勘違い?

「ウソ言ってどうするよ?」

 漂い始めた甘い空気がこっ恥ずかしくてつい軽口をたたく。

「好きだ。ずっと好きだった」

 そう言って辻は俺を放し、真剣な眼で見つめてくる。

「これからゆっくり憶えてもらう。もう忘れないように」

 俺になら口説かれていいんだろう?

 そう微笑する辻につい見蕩れる。

 こんなことじゃ落とされるのも時間の問題かもしれない。

 

短編