恋文

 

 古い写真を見つけた。

 図書室の誰も読まないような本の間から。

 最後の貸し出し記録は18年前。

 何度も改装されただろう古いこの校舎によくこんなものが残っていた

もんだ。

 写真の人物はハタチ前後の若い男で誰かと話しているのか左側に笑顔を

向けている。

 隠し撮りされたものだろうか?

 背が高く、体格がよいのが写真でもわかるほどだ。

 短く刈り込まれた黒髪が男らしさを強調している。

 何気なく裏返せばそこには一言。

 

 あなたが好きです。

 

 そっと誰にも見つからないように隠した恋文。

 この写真の持ち主はどんな想いでここに隠したのだろう。

 どんな恋をしていたのだろう。

 

 

 

 

 

「保科太陽……」

 この名前からして男、なんだろう。

 もう憶えてしまった貸し出し記録の名前をそっと呟き、倉田悠は写真を

見つめる。

 昔から共学だったはずのこの学校にそういう性癖の人間がいたとは

驚きだ。

 しかし不思議と嫌悪はない。

 あるのは興味だけだ。

 この写真の男に恋をしていた保科太陽。

 男だからその気持ちをここに隠したのだろうか?

 それとも忘れるために?

 日に日に彼のことが気になっていく。

「なーにしてんだよ」

 写真に見入っている悠にいきなりのヘッドロック。

「ギブギブ」

 そう言って腕を叩けばそれはすぐに外れた。

「誰これ?」

 写真に気づいたらしい桃原は更に顔を近づけ写真に見入る。

「なんか見たことある顔だなぁ」

 そう言われ悠は桃原に向けていた視線を写真へ戻した。

 確かに見覚えがあるような気がする。

 でもそれは、例えば前に一度だけ観た映画の脇役のような曖昧さだった。

 見たことある気がする。でも誰かに似てるだけなのかもしれない。

「わっかんねー」

 そう言って悠はことの経緯を説明した。

「ウチの生徒だったんだろー? 卒アル探せばいいんじゃねえ?」

「どうやって探すんだよ?」

 そんなことがわかってたって肝心の卒業アルバムはどうやって手に入れ

ればいいんだ。

 ちょっと不貞腐れたように悠が桃原を見上げる。

「図書室にあるだろ」

「はぁ!?」

 がたんと音を立て立ち上がると悠は桃原に掴みかかった。

「おまえ図書室なんて行かねーもんな」

 そういいながら悠を睨みつけ桃原は視線だけで手を離すよう訴える。

「あ、わりぃ」

 手を離し呆然と元のように椅子に座り、悠は深い溜め息をついた。

 図書室にそんなものがあったとは。

 だがよく考えればおかしなことなどない。

 学校の歴史として今までのの卒業アルバムがあっても不思議はない

だろう。

 善は急げ、とばかりに図書室へ急ごうとする悠を桃原は冷静に制す。

「もう授業始まるぞ。終わるまで我慢しろよ」

 気になって授業どころじゃねえよ、と言いかけて確かにそうだと悠は納得

した。

 図書室の隣にはガラス張りで図書室が見渡せるようになっている司書室

があり、国語教師の職員室と化しているのだ。

 授業中にそんな場所に行けるわけがない。

 気になりつつも今は授業を受けるしかないと悠は机に突っ伏した。

 

 

 

 18年前から3年間の卒業アルバムを探す。

 貸し出しカードには名前しかなかったのだからしょうがない。

 持ち出し禁止図書なので仕方なく近くにあった椅子に座り、悠は順番に

目的の人を探しはじめた。

「保科……」

 顔写真の下についている名前を目で追いながらページを捲る。

 全クラス確認してから閉じ、次のアルバムを開く。

 最後のアルバムに手を伸ばし、これになくても留年してる可能性だって

ある、と自分に言い聞かせながら悠は無意識に深呼吸した。

「保科……保科……」

 呟きながら指先と目で名前を追う。

「あった!!」

 がたんと椅子を倒し、大声を出した悠に非難の視線が向けられる。

 しかしそれに構っている余裕など今の悠にはなかった。

「保科太陽」

 その名前を何度も確認し、顔写真を凝視する。

 悠が想像していた保科太陽は、可愛くて、小さくて。

 男に恋してもおかしくない男だった。

 それが偏見だということはよくわかっていたが。

 しかし本物の保科太陽は何の変哲もない普通の男だった。

 集合写真に写る姿もどちらかといえば長身なほうだ。

 でも見つけた。

 見つけてどうしたいのか自分にもよくわからないが、それでも見つけた

のだ。

 コピー機がないので仕方なく住所をノートに書き写す。

 34歳になるはずの男が、今も実家に住んでいるかはわからない。

 でも手がかりにはなるはずだ。

「こんなことして、どーしたいんだ」

 呟くように問いかけても答えてくれる人はもちろんいなかった。

 

 

 

「で? この住所、どーすんの?」

 自分が知りたいと思っていたことを訊かれ、悠は口篭る。

「この保科って人に返してあげるわけ?」

 返してあげたかったから探したのか。

 そっとしまった恋心を。

「……わかんねぇ」

 そう呟いて机に突っ伏してしまった悠に桃原は溜め息をついた。

「つーか、俺、考えたんだけど、」

 前の席に座り、悠が住所を写してきた紙を玩びながら桃原が言う。

「自分で借りたもんにわざわざ隠す?」

「は?」

「俺だったらさ、誰も読まないような本に自分の名前なんか残さずにこっそり

隠すかなぁ、と思ったわけ」

「うわぁー。じゃあ無駄だったってことー?」

 桃原の言葉に顔を上げていた悠だが、今度はごちんと音がするくらい盛大

に机に倒れこんだ。

「わっかんねーけど。俺だったらそんなことしねーかな、と思ったわけ」

 確かにその通りだ。自分だってそんなバカなことはしない。

「フリダシに戻った……」

 しかしそうだったならば、これを隠したのは女子生徒かもしれない。

 そっちのがよっぽどマトモな考え方だ。

 

 

 

 

 

「誰なんだ……」

 家に帰っても写真を眺め続けている自分に悠は溜め息をついた。

「まるで俺がコイツに恋してるみたいじゃん」

 こんなごっつい男、タイプじゃない。

 親父そっくり、と評判の成長を続ける自分がこんな男に惚れるわけが

ない。

 というより、そもそも男に興味はない。

 悠が無意識にもう一度大きな溜め息をつくと、部屋の扉が開いた。

「おーい、飯だぞー」

「勝手に入ってくんじゃねーよ」

 入ってきた人物に向かって悠がこっそり悪態をつく。

「お父様にそーゆう口を利くんですかー?」

「いだだだだだ! マジやめろ!」

 力いっぱい頬を引っ張られ、悠は奇妙に顔を歪めながら頬に張り付いて

いる手を叩いた。

「ん? なんで俺の写真なんて持ってんだ?」

 あっさり放された手に、痛みに集中していた思考が戻ってくる。

 俺の写真?

 俺の?

 俺の撮った? 俺の写った?

「俺のー!?」

 てめーだったのか!!

 そりゃどっかで見た顔だろうよ。

「これ、何歳くらい?」

 思わず声が低くなったとしても悠の責任ではないだろう。

「んー、多分教育実習んときじゃねーか?」

「教育実習!? 教員免許持ってんの!?」

 塾の講師なんて大学出てればいいもんだと思ってた。

 しかしよく考えればバイトじゃないんだから教員免許は必要なのかも。

「おまえが出来たからこっち来たんだよ。久美子、一人娘だし」

 俺は元々学校の先生になるつもりだったの。

 そう言いながら父親は遠い目をして語りだした。

「大学生の頃、この塾でバイトしてたんだよ。

 そんとき高校生だった久美子も親の塾だし通ってたわけ。

 そしたらある日、久美子が妊娠したとか言い出して。

 ちょうど卒業だったし、学校出てすぐ結婚したんだよ。

 しかも久美子一人娘だしってことでしょうがなく教師諦めて

 塾講師になったわけよ」

 サイテーだ。

 教え子に手出して孕ますなんて。

 サイテーな男だ。

 この写真の持ち主は、こんな男のどこがよかったんだ。

 可哀想な人。こんな男を想っていたなんて。

 

 

 

 

 

「まだ考えてんのかよ?」

 次の日、またしても机に突っ伏し写真を眺めている悠に桃原が呆れたよう

に溜め息をついた。

「こんな男に惚れる人間の気持ちがわからん」

「こんな男、って誰だかわかんねーのに酷い言い様だな」

 そう言いながら桃原は悠の前の席へ座る。

「……親父」

「はっ?」

「これ、ウチの親父だよ」

 その言葉に桃原は写真をマジマジと見つめた。

「言われりゃそんな感じだなぁ」

 2度ほどちらりと見た悠の父親の顔など鮮明には憶えていないが、なんと

なく誰かに似てると思った“誰か”が誰だったのかは予測できた。

「おまえに似てたんだ……」

 桃原のその呟きに悠は嫌そうに顔を顰める。

「俺のが絶対イイオトコだろ」

 その言葉をさらりと無視し、桃原は疑問を口にした。

「なんでおまえの親父の写真があんなとこにあったんだよ?」

「……ウチの学校に教育実習で来てたらしい」

 そのとき生徒の誰かが撮ったんだろう。

 こんな男のどこがよかったんだ。

「マジ!? おまえこの学校受けるとき聞かなかったのかよ?」

「聞いてねー」

 そうだよな。フツー言うよな。

 なんだよ、あの親父。

 悠は写真を見つめながら独り言のようにブツブツと毒づいている。

「うっとーしいなぁ」

 桃原は至極真面目にそう言い放ち、聞いていない悠を放って自分の席へ

戻ることにした。

 

 

 

 

 

 こんなところ来て、どーすんだよ……。

 ここ最近おなじみになった自問をしてみるが、いつも通り答えはない。

 悠はやっぱりおなじみになった溜め息を洩らした。

 

 夏休みに入り、それでもまだうだうだしている悠に桃原が言ったのだ。

「うっとーしいなぁ……気になるんなら会いに行ってみればいいだろ?」

「でも保科太陽が写真の持ち主かどうかわかんねーし……」

「違ったらまた探せばいいだろーが。うぜーんだよ」

 

 そうかもしれない。

 酷い言葉を浴びせられつつも、単純な悠はそう思い、保科太陽の家に行く

ことに決めた。

 家、といっても高校生のときに住んでいた実家だ。

 今もそこに住んでいる可能性はかなり低い。

 会えなかったらどうすんだよ。

 家族に居所を聞けるほどの知り合いでもないのに。

 そんなことを考え、うがーっと悠はその場に蹲る。

「うわっ」

 急に後ろから聞こえた声に座り込んだまま首だけ回すといきなり蹲った

自分に躓きそうになっている男。

「すみません!」

 悠はそう言って立ち上がり、頭を下げる。

「いや、大丈夫」

 そう言って微笑した男の顔。

 見間違えるはずがない。

 ここ最近、ずっと考えていた男。

 一度だけ見た写真の男。

「保科太陽!」

 思わず顔を指差し、叫んだ悠を保科は訝しげに凝視した。

「誰?」

 見つけられた喜びでつい名前を叫んでしまったが、今の自分は不審人物

以外何者でもない。

 ホントはこっそり保科太陽を発見するだけで終わるはずだったのに……。

 悠は溜め息をつきながら写真を取り出した。

「あんたにコレを返したくて、」

「……どうして、俺だと……?」

 今度は悠の差し出した写真を凝視しながら独り言のように呟く。

「なんとなく」

 そう、なんとなく。

 写真を見つけたとき。

 違う人物のものかもしれないと思ったとき。

 でもこの人を見たらなんとなく思った。

 彼のものだと。

「君は……?」

「倉田悠」

「倉田……?」

「まさかその写真が親父だとは思わなかったけど」

 そう言って肩を竦める悠に保科は微笑した。

「そっか……」

 無言で写真を見つめる保科を悠も無言で見つめる。

「捨てようと思っても捨てられなかった。……いつか忘れられれば、と

思ったよ」

「今でも忘れられない?」

「いや? 驚きはしたけど、未練があったわけじゃない」

「新しい恋人がいるから?」

「いないよ?」

「じゃあ、俺は?」

 そう言った悠に保科は怪訝そうな表情をした。

「…………?」

「あの親父と比べられるのは癪だけど、俺のが絶対イイオトコになると思う。

ねえ、俺は?」

「……揶揄ってるのか?」

 そうとしか思えない。

 こんな30も半ばの男を捉まえて。

「? そんなつもりはない。ただ、ずっとあんたのことを考えてた」

 この恋に身を焦がした男。

 こんなふうに想われたらどんなに。

「ずっと気になってたんだ」

「ひかり……」

「えっ?」

「ほしなひかり、だ」

 保科はそう言って綺麗な笑顔を作る。

「それって……どういうこと……?」

 自分のことを好きになってくれる可能性があるということなのか。

 悠は知らず早くなる鼓動を抑えつつ問う。

「あくまで恋人候補だからな」

 少し頬を染める保科にもしかしたら写真を見つけたあのときから自分は

彼に恋をしていたのかもしれないと悠は感じていた。

 俺はあんなふうに恋心をしまったりしない。

 恋は諦めるためにするものじゃないから。

 悠はそう心に誓い、必ず候補から昇格する決意を固めた。

 

短編