「なっ? このままじゃ死んじまう。俺、かれてるんだろ?」

 その言葉を聞き、弥月はやっと顔を上げた。

「俺にどうしろと言うんだ? ここは神社でもなければ寺でもない。ただの善良な市民

の自宅だ。祓って欲しければ専門家のところへ行け」

「何を言っているんだ。おまえだって専門家・・・じゃないか。落とすことを専門にしている奴

らなんて、金儲けが目的だ。視えているかどうかわかったもんじゃない」

 その点おまえは安心だ、と富嶋は笑顔を作る。

「何が安心だ。憑き物ソレは俺の専門じゃない」

 弥月は冷たく言い放つと見ていた書物を棚へ戻し、時計に目を遣った。

「そろそろ客が来る頃だ。さっさと帰ってもらおうか」

「客? 珍しいな。ここに俺以外の人間が来るなんて」

 自分に都合の悪いことは聞こえないふりをして、富嶋は新しく煙草を取り出し火を点

ける。

 どっかりとソファに深く腰を掛け、煙の輪を吐き出す富嶋に弥月は勝手にしろ、とでも

いうように富嶋の存在を無視し始めた。

「なあ、俺って見るからに善人じゃないか?」

 煙草も吸い終わり、富嶋は沈黙に堪えかねて弥月にそう問い掛ける。

 もちろん答えは返ってくるはずがなく、それは富嶋にも容易く予想出来たことだ。

 しかし富嶋は気にする様子もなく独り言のように問い掛けを続ける。

「そんな俺に憑くなんて、よっぽど俺に惚れていた女としか考えられないだろう?」

 罪作りな男だなあと呟き、3本目の煙草を取り出したとき、ピンポーンと高い音が部

屋に響いた。

 こんな高そうなマンションでもチャイムの音はピンポンなのか、と富嶋は妙に感心を

する。

「はい」

 ドアフォンの受話器を取り上げ、弥月がいつも通りの素っ気無い対応をする。

 来客というくらいなのだから知り合いなのだろうに、と思ったが、自分が訪れるときも

弥月は素っ気無いというか、面倒臭いというか、渋々なのが丸解かりの対応をするこ

とに気づき、そんなものか、と思い直した。

 一言二言言葉を交わし、弥月がエントランスのロックを解除する。

 来客ならば煙草は失礼か、と富嶋にしては珍しく殊勝なことを考え、取り出した煙草

を箱に戻した。

 手持ち無沙汰にライターを玩んでいると再び軽快なチャイムの音が聞こえ、弥月が

玄関へと向かう。

「こんにちは、弥月くん。久しぶりね」

 玄関からそんな声が聞こえ、そんなふうに弥月を呼ぶ人物はいただろうか、と考える

が、富嶋に弥月の交友関係のすべてがわかるわけはない。

「あら……」

 リビングに入ってきた女性が富嶋を見て首を傾げる。

「私、時間を間違えたかしら?」

「いえ、時間通りですよ」

 弥月はそう言って女性に座るよう勧め、コーヒーをいれ始めた。

「その馬鹿は気にしないでください。ちょっとした知り合いです。相談に差し支えがある

ようなら外に出しますが?」

 酷い扱いだ。まるでゴミでも捨てるかのようにさらりと言う弥月に富嶋は抗議の目を

向けた。

「なんなんだ、その扱いは。さっきから聞いていれば、まるで俺はバカ扱いじゃない

か。それに“ちょっとした知り合い”とはなんだ。俺とおまえの仲だろう?」

「それはどんな仲なんだ? いつも俺に迷惑を押し付けて。今回だってそうだ」

 弥月はうんざりとしたように富嶋を―――正確には富嶋の頭の少し上辺りを―――

一瞥した。

「さっさとそれを連れて出て行け。それは俺の仕事じゃないぞ」

 弥月はそう言って女性の前にいれたてのコーヒーを置く。

 いくら来客とはいえ、一人暮らしの男の家にカップとソーサーのセットがあるのを不

思議に思いつつ、富嶋はその疑問は呑み込むことにした。

 もっと重要なことがあるからだ。

「どうして俺の分はないんだ? 俺も立派な客だろう?」

 そう。当然のように富嶋の分の茶は用意されていない。

「客? 呼んでもいなければ連絡もなく、いきなりやってくる迷惑な人間のどこが客だ

というんだ?」

 そう言ってから、弥月は今度こそ完全に富嶋を無視することを決めたらしく、女性に

向き直り、話を始めた。

「それで、義姉さん。相談とは何ですか?」

「ええ」

 胸の辺りで綺麗に切り揃えられた黒髪を耳にかけると、女性は頷き弥月をしっかりと

見つめた。

「知っての通り、私の実家は曽祖父の代から続く呉服屋で―――いえ、古いだけで

大したことのない店なんだけど……。それがここ最近奇妙なことが起こるようになった

の。拓弥たくやさんに相談したら、弥月くんに話してみろって」

 そういえば弥月には拓弥とかいう兄貴がいたな、と今更ながらに気づいた富嶋だ。

ということは、彼女は兄嫁なのだろう。と推測する。しかしそんなことを口に出して言え

ば、今更気づいたのかだの、だからおまえは馬鹿なんだだの、あらゆる罵倒が降って

くるに決まっている。

 富嶋は口を噤み、話の成り行きを見守ることにした。

「奇妙なこととは?」

「物が急に失くなったり、出てきたり。客入りが良くなったり、途絶えたり。まあ、その

程度ならよくあることだと思い、然して気にもしなかったんだけれど、家族にまで害が

及ぶようになって、祖母が除霊を―――」

「除霊?」

 女性の言葉を遮り富嶋が口を開いた。それを窘めるように弥月が富嶋に冷たい視線

を向ける。

「えっ、ええ。古い家ですし、祖母がそういうのを気にする人なんです。何かいるんじゃ

ないか、などと言い始めて……。そんなものが本当に存在するのか、私には信じられ

ません。でも、それで解決するなら、とも思っています」

 弥月に向けていた視線を富嶋へ移し、女性はそう続けた。

 白い肌に申し訳程度にしてある薄化粧。艶のある桃色の唇に綺麗な弧を描いたきり

っとした眉。何よりも意志の強そうな切れ長の瞳。なかなかの美人だ。

 まあ弥月には劣るがな、そう考えて富嶋は苦笑した。

「家族に害が及ぶようになった、と言いましたよね?」

 富嶋の馬鹿な考えを中断するように、腕を組んで何かを考えている様子の弥月が

言った。

「その害とは?」

「店の者、といっても、知っての通り家族経営だから、家族になるのだけど、店の者が

立て続けに事故や病気に見舞われて……。偶然にしては出来過ぎのようで気味が悪

くて。お客様にもそれが及ぶようになるのなら、さすがにこのままにはしておけないし」

 富嶋は眉を顰め、弥月を見つめる。

「なるほど……」

 弥月は富嶋の視線を無視しそう呟くと、組んでいた腕を解いた。

「義姉さん、店へ行っても構いませんか?」