うたかたの日々
−参−
「んっ……」 目が覚めたとき、僕は布団の中にいた。 ここはどこだろう? 僕は見たこともない部屋を見まわしながら、ぼうっとする頭を懸命に 働かせる。 僕はたしか……谷に落ちて……? 「起きたか?」 不意に扉が勢いよく開き、鉄線に勝るとも劣らぬ大男が入ってきた。 「おまえ、川に落ちてたんだ」 だから拾ってきた。と彼はまるで犬か猫を拾ったかのような口振りで そう言った。 「濡れてたから着物勝手に脱がしたけど、」 そう言われて着物を見ると、自分が身につけていたものとは違うことに 気づいた。 「ありがと……」 僕がそう言うと、彼はにこっと笑って近づいてきた。 「ほんとは人間を連れてきちゃいけねえんだけど、おまえは綺麗だった からな」 近づいてきた彼を見て、僕ははっと息を呑んだ。 入ってきたときは光の加減でわからなかったが、彼の髪の色は赤みが かった紫色をしていたのだ。 今まで僕は黒い髪以外の人間を見たことがなかった。 異国の人なのだろうか? 「あの……」 声をかけようとして、僕は続きの言葉を呑み込んだ。 僕の近くに腰掛けた彼の、前髪の生え際あたりには小さな白い突起が あったからだ。 「ツ……ツノ……?」 僕は叫び出したい気持ちを抑え、後退りした。 「ああ、……怖いか?」 「おっ……鬼……?」 僕が震える声でそう訊くと、彼は静かに頷いた。 「人間はそう呼んでる」 まるで 「ごめんね」 とでも言うように淡々と語る彼の姿がなんだかとても 可哀想で、僕は彼の頬に触れた。 「なんだ?」 彼が不思議そうに僕の顔を覗き込む。 「ううん。鬼ってもっと怖いものだと思ってた」 僕がそう言うと、彼は不思議そうな表情で首を傾げた。 「怖くねえのか?」 「怖いけど……」 「けど?」 彼は傾げた首のままで、僕の言葉を待つ。 「綺麗」 「きれい?」 僕は頷いて、彼の髪に触れた。 腰近くまである紅紫色の猫っ毛と、同じ色の瞳。 白くてちいさなツノは、慣れてくると可愛らしいという印象さえ受ける。 「不思議な人間だな」 彼はそう言って、ふっと微笑った。 「名は?」 「桔梗」 僕がそう言うと、彼は僕の顔を見つめ、 「きれいな名だ」 と、言った。 「俺のいっとう好きな花だ」 僕はなぜだか赤面し、それをごまかすために、 「君は?」 と訊いた。 彼はにっこりと微笑って、「薊」と言った。 「あざみ? 薊?」 僕は彼の髪をもう一度見て、ああ、と頷いた。 僕は彼の髪に触れ、近づいてよく見てみる。 「だから、薊?」 彼の髪の色は薊のそれと驚くほどよく似ていた。 「ああ、薊と同じ色だ」 薊はそう言って、自分の髪の毛を見る。 日に焼けた色の黒い肌からこぼれ落ちるきれいな白い歯。 僕は思わず薊に見とれた。 鬼とは思えないほど無邪気な笑顔。 人間が考えていた鬼とは、明らかに違うものだった。 「鬼って……」 「んっ?」 僕は薊を見つめ、口を開いた。 「鬼って、身の丈が七尺とか八尺とかあるんだと思ってた」 薊は大きいが、鉄線とそう変わらない。 「そんなことあるか。俺たちは少し人間と違ったから谷に追いやられただけ だ」 薊は怒りとも哀しみともつかない、微妙な表情をした。 「………」 僕はどうしていいのかわからず、ただ黙っていることしかできなかった。 「ごめんね」 やっとのことで僕がそう言うと、薊はすこし驚いた表情をし、 「変な人間」 と微笑った。 |