うたかたの日々
−伍−
毎日精を出して働いていた薊がある日唐突に倒れた。 あの日、気に留めることをしなかったが、薊はやっぱり具合がよくなかった のだ。 駆け寄って大丈夫かと訊けば、いつもの微笑。 しかしその表情はお世辞にも健康とは言いがたい。 「どこか悪いの?」 「違う」 「疲れているの?」 「違う」 じゃあどうして。 心配そうに見上げる僕に意を決したように薊が口を開いた。 「血が……必要なんだ……」 「ち……?」 薊の話はこうだった。
薊たち鬼は寿命が長い。 しかしそれは他の生物から血を介して寿命を分けてもらっている為だ。 その生物とは身近にいて比較的寿命の長い生物。 つまり僕ら人間ということになる。 しかし彼らは人間を殺めるわけではなく、血を分けてもらっているだけだと いう。 血を吸われ、気を失った人間はそのときのことを憶えてないらしい。 だから僕ら人間がそのことで大騒ぎになることはないというわけだ。
「おまえも人間だから嫌だろう? 俺が人間の血を飲むのは」 でも殺めるわけではないんでしょう? 「じゃあ僕の血を飲んで」 僕が腕を出すと薊は微笑って首を振った。 「死ぬわけじゃない。寿命が短くなるだけだ」 大したことじゃない。薊はそう言うけれど、人間の僕から見ても体調が悪い のは一目瞭然だ。 きっとすごく辛いんだろう。 寿命が短くなるってどのくらい? 数日後に死んでしまったりしない? 僕は不安になって薊を見つめ、着物を肌蹴させた。 「大丈夫だよ。僕の血を飲んで」 腕より首筋のほうが血が飲みやすいだろうと躊躇いもなく脱いだけど、 じっと見つめる薊の眼に急に自分の貧弱な体が恥ずかしくなった。 飲んで欲しいと思うのに貧弱な体は見られたくない。 どうしていいかわからなくなって、僕は俯いて薊の出方を待つ。 「いい……のか……?」 薊はそう小さく呟くと僕の首筋に口を寄せた。 確かめるように舐め、歯を立てる。 「あっ……」 小さな痛みに思わず声を上げる。 しかし痛みはすぐに感じなくなった。 次から次へと出ているだろう血を薊が吸い、舐め上げる。 今までに感じたことのない、その奇妙な感覚を僕は目を閉じてやり 過ごす。 ぺちゃぺちゃと舌を使う音だけが聞こえている。 首筋に、胸元に、薊の柔らかな髪が触れる。 どのくらいそうしていただろうか。 不意に薊の体温が離れ、思わず目を開いた。 口元を血に染め、潤んだ瞳で僕を見つめる薊は胸元に伝った血を丁寧 に舐め上げた。 じんじんと感じる首筋と胸元を舐める薊の甘い舌。 引っ掛かっていただけの着物はすべて剥ぎ取られた。 鬼の表情をした薊を怖いとは思わなかった。 もっと薊を感じたかった。 いっそ食べて欲しいとさえ感じるほどに。 薊の血となり肉となり、常に薊のそばに。 薊とひとつになってしまいたかった。
目の前に見える肩に噛み付いた。 僕が人間だからか、薊のように血を流せるほど傷つけることは出来ない。 それを見て薊が自分の腕を噛む。 そこから流れる僕と同じ紅に口を付け、吸う。 何故か懐かしい味がし、犬のように舌を使った。 血を吸い、吸われ、絡み合い。 僕らは飽きることなく一晩中そうしていた。 |